8月25日  聖霊降臨節第15主日礼拝
聖  書  ヨハネによる福音書 7:37 〜 52
説  教  「霊とキリスト」 小峰 擁 牧師
讃 美 歌   18 373 197
 
「あまつましみず」の讃美歌は郡山教会にとって、まさに教会愛唱の讃美歌なのではないでしょうか。昔からよく歌われてきたからというのではなく、また清水台という地名からの連想からというのでもなく、むしろもっと積極的なもの、ある意味で郡山教会の霊性(れいせい)、郡山教会の信仰をよく言いあらわしているからであると思われるからです。
「あまつましみず ながれきて、 あまねく世をぞ うるおせる。 ながくかわきし わがたましいも、 くみていのちに かえりけり。
あまつましみず 飲むままに、 かわきを知らぬ 身となりぬ。 つきぬめぐみは こころのうちに、 いずみとなりて 湧(わ)きあふる。
あまつましみず うけずして、 つみに枯れたる ひとくさの さかえの花は いかで咲くべき、 そそげ、いのちの ましみずを。」
(『讃美歌』217番、『讃美歌21』404番)
そして、その聖書の箇所はどこなのかというと、もちろんヨハネによる福音書4章13-14節であり、きょうのみことばのヨハネによる福音書7章37-38節であり、また旧約聖書のイザヤ書58章11節でありましょう。
「主は常にあなたを導き 焼けつく地であなたの渇(かわ)きをいやし 骨に力を与えてくださる。 あなたは潤(うるお)された園(その)、水の涸(か)れない泉(いずみ)となる。」 (イザヤ書58:11)
「この水を飲む者はだれでもまた渇(かわ)く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決(けっ)して渇かない。わたしが与える水はその人の内(うち)で泉(いずみ)となり、永遠の命(いのち)に至(いた)る水がわき出る。」 (ヨハネによる福音書4:13-14)
渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」
(ヨハネによる福音書7:37-38)
そうなのです。聖霊(せいれい)の導き、み霊(みたま)の導きは、わたしたちが自分のみに信頼する、自分のみに頼らないで、こころを空(くう)にして、ただ聖霊のみに、み霊のみに明け渡すときに神さまからわたしたちに与えられます。
神さまの愛も、神さまの智慧(ちえ、知恵)もそうです。みんな聖霊によって、み霊によって、神さまからわたしたちに与えられるのです。
わたしたちの罪からの救いが、罪のゆるしが、わたしたちの救い主(すくいぬし)イエス・キリストに頼るほかなかったように、わたしたちの救われてからの人生、信仰の生涯の歩みもまた同じように、聖霊の導き、み霊の導きを絶えず受けるよりほかありません。
聖霊の導きは、み霊の導きは、わたしたちが自分に頼らないで、また人にも頼らず、天の父なる神さまのみに、主(しゅ)イエスさまのみに、イエスさまの霊(れい)である聖霊、み霊のみに頼るときに、豊かに与えられるのです。満たされるようになります。
きょうのイエスさまのみことばはわたしたちにこう約束しています。感謝であります。
日本基督教団郡山教会
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