8月 4日  聖霊降臨節第12主日礼拝
聖  書  ヨハネによる福音書7:1-24
説  教  「神の愛と平和」 小峰 擁 牧師
讃 美 歌    4 371 566  78
 
きょうは平和聖日礼拝です。神さまの愛と平和を祈りつつこの八月をわたしたちは過ごしてまいりたいと思います。
平和ということを考えるとき、忘れられない思い出の本の一節があります。平和について考えるとき、この一節はわたしたちキリスト者の基本線を示しているように思われます。
「私たちの内面的、主体的な平和への決断を支える、真の根底となるものは、人間の力を越えた、聖書が示している、平和の主イエス・キリスト自身であると、私は信じている。「キリストはわたしたちの平和であって、二つものを一つにし、敵意というへだての中垣なかがきを取り除かれた」(エペソ二・一四)と、パウロが言うように、平和の主イエス・キリストこそ、信じる私たちの心を、新しく造りかえ、憎しみの心を取除き、愛の心を与えて下さるのである。そして真に「平和をつくりだす人」(マタイ五・九)とならせてくださるのである。
私たちは、キリストに支えられ、キリストの御霊みたま(平和の霊)を内に与えられ、燃やされて、平和への決断を持ち続ける者とされるのである。」(小田島嘉久著『キリスト教倫理入門』、1988年、ヨルダン社刊)
十字架と復活の主(しゅ)、愛と平和の主イエス・キリストこそ、わたしたちを真に「平和をつくりだす人」とならせてくださるのです。
さて、わたしたちのヨハネによる福音書第7章は、イエスさまの行き方と、イエスさまの身うちを含めての「この世」の行き方とは根本的に違うということから始まっています。
イエスさまの兄弟も、ユダヤびとも、祭司長・パリサイびとも、「この世」の行き方とは根本的に違うことが明らかにされてゆきます(ヨハネ7章)。
ここで一貫してイエスさまがおっしゃっておられることは、イエスさまが天の父なる神さまからつかわされたお方だということです。「この世」を罪から救うために、わたしたちの救いのためにイエスさまはこの世に来てくださったということです。ヨハネによる福音書のとても大切なみことば3章16節がここでもわたしたちの心に向けて響き渡っています。
「神は、その独り子(ひとりご)をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)
ヨハネによる福音書第7章を何遍も読んでみました。そうする不思議にもこのことが心の中に浮かび上がってきました。主イエスさまの愛と平和のみことばです。
主イエスさまはこの世を愛し、この世の救いのために来てくださった、わたしたちを愛し、わたしたちの救いのために来てくださったのです。このために、天の父なる神さまがつか)わされたお方であったのです(7:16,18、28、29、33)。あの十字架の上でわたしたちを愛し抜かれ、わたしたちの罪の贖(あがな)いのために十字架の上で死んでくださったお方です。そして三日目に愛なる神さまはイエスさまを復活させ給います。このお方こそ、イエス・キリストこそ、わたしたちの愛と平和の主です。「『ひともしかわかばわれきたりて飲め。われを信ずる者は……その腹より)ける水、川となりて流れづべし』」(文語訳37,38節)
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