9月 8日  聖霊降臨節第17主日礼拝
聖  書  ヨハネによる福音書 8:12 〜 20
説  教  「世の光」 小峰 擁 牧師
讃 美 歌    6 214 403
 
「わがたまのひかり」の讃美歌のことを想い起こします。
「わが霊(たま)のひかり、 すくいぬしイエスよ、 ちかくましまさば よるも夜(よ)にあらじ。 しずけき夜(よ)なよな ふしいぬるごとに、 みそばのいこいを おもわしめたまえ。……」(1954年版『讃美歌』38番1,2節、『讃美歌21』214番1,2節)
と歌ってまいります。
わたしたちの愛する救い主(すくいぬし)イエスさまが、わたしたちのそばに、いと近くにいてくださいますときのみ、たといやみ夜のようなときであっても、わたしたちは主(しゅ)イエスさまを見上げながらなんとか歩んでゆけるのだと思うのです。この信仰の歌を心の中に思い浮かべながら、口ずさみながら、わたしたちは神さまからわたしたちに与えられたこの道を、わたしたちのこの信仰の道をなんとか歩んでゆくのであります。
きょうのみことば、ヨハネによる福音書8章と相通ずるものが、この讃美歌の中にはあるように思えてならないのであります。
きょうのみことばは、たといどのような試みのなかにあっても、わたしたちはこのみことばから勇気づけられるのではないでしょうか。
主イエスさまにのみおすがりして、わたしたちの魂、わたしたちの心は。主イエスさまのうちになんとかやすらぎ、憩(いこ)うことができるのではないでしょうか。
「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」(12節)救い主イエスさまはわたしたちに向かってこのように語りかけてくださいます。
わたしたちは人生の道なかばでたいへん疲れているのかもしれません。身も心もへとへとになっているのかもしれません。
けれども、このようなわたしたちに向かってイエスさまは慰めてくださいます。世の光をもって、命の光をもってわたしたちひとりひとりのことを照らしてくださいます。
わたしたちはここでどうしてもヨハネによる福音書の冒頭のみことばを想い起こします。
「初めに言(ことば)があった。言(ことば)は神と共にあった。言(ことば)は神であった。この言(ことば)は、初めに神と共にあった。万物は言(ことば)によって成った。成ったもので、言(ことば)によらずに成ったものは何一つなかった。言(ことば)の内に命(いのち)があった。命(いのち)は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。……その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。」(ヨハネによる福音書1章1-5節、9節)
ヨハネによる福音書の冒頭のみことばはこのように人生の途上でたいへん疲れている、へとへとなわたしたちひとりひとりへの神さまの愛のみことば、慰めのみことばなのです。
すべての人を照らすまことの光として主イエスさまはこの世に来てくださいました。
そしてついにゴルゴタの丘で十字架にかかられます。このお方から神さまの救いが豊かに流れ出ます。この主がわたしたちにもあなたがたは世の光であるといってくださいます。
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